読書メモー頭がよくなる議論の技術
どうして日本では、
欧米諸国、なんなら中国や南アジア諸国のように
自由闊達に議論をしないの?
という冒頭の問題提起。
ところで、途上国の人と関わる中で、
議論する力って本当に大切、としみじみ思います。
自己主張の強さランキング(ほぼ偏見)
バングラデシュ>>スリランカ>>>>(中略)>>ネパール>フィリピン>ベトナム=モンゴル>ミャンマー> ラオス=カンボジア
※フィリピンは英語力が高いので、主張がはっきりしているように見えるだけかもしれません。フィリピン人皆さんいい人ばかりだよ!
南アジアの人は、現場で話しかけられると、正直、ドキッ!とします。
それから、何かを依頼しても、
期限を守らないし、しかも謝らない!!
あんた!まず謝りなさいよ!こらっ!!
って出かかっているのを押し殺して、
“Ah it’s alright ~” って言ってしまいます。
脱線しましたが、
日本人が自己主張が弱いことについて、
私自身は
「日本人独特の空気を読む民族性のせいでしょ?」
と決めつけていましたが、
本書で新しい切り口を教えてくれたことが心地よくて、
どんどん読み進めてしまいました。
高度経済成長、人々の関心は、マイホーム主義に代表される自分自身の経済力へ向かってしまった。
さらに追い打ちをかけるように、
盛んに議論が行われた大学闘争が警察の介入で失敗し、
左翼が声高に主張し続けた社会主義の矛盾が、ソ連崩壊によって露呈してしまったことを受け、
「議論なんてしても、むなしいだけ・・・・」
というムードが出来上がってしまった、
ということ。ふむ!なるほど(*´꒳`*)
そして、
謙虚であることは大切なのか?
という点について、
「その方が日本人社会では受入れられるから、日本では大切なんじゃ・・・」
ということ以外の解説が聞けたことも、とっても良かったです。
謙虚さが大切な根拠は、「弁証法的思考」。
高校では、「古代ギリシャの議論の方法論ですねー」と習いましたが、
「あー!これって人間の本質なんだ!」と気づけたことが、とっても爽快です!
つまり、何かというと、
誰か他人との対話を通して、
自分の話の中に矛盾があった、考えが甘かった、知識が足りなかった 等
気づきを得ることができます。(謙虚な気持ちでいれば)
この気づきを通して、
もっとたくさんの知識を得て、考えをより深化させたり、
反対意見をとりこんで、それと矛盾しないような新しい考えに昇華させたり
することができます。
そして、この弁証法的思考が
個人の考え、だけでなく、社会の発展や、科学の進歩、さらには人類の進化においても、
異なる理論を取り入れながら、より高みへ発展させる
という点で共通するということも、面白いです。
(いい例えが思いつかないですが・・・。)
さらに、ここで、多様性がいかに大切か、の説明についても、なるほど!と納得します。
「異なる理論を取り入れながら、より高みへ発展させる」
ということは、逆に
異なる意見がなければ、考えは深まらない。理論も発展しない。科学も停滞してしまう。人類も進化しない。
ということになりますから、
多様な価値観を交わらせることが大切! ということになります。
うん。納得!
そしてさらに、多様な価値観を活かすには、
「自分の考えは、絶対であることなんて、あり得ない」
という謙虚な姿勢が大切だ、という論にも賛成!
だって、えらい先生の科学的な主張でさえ、往々にしてひっくり返りますもんね。
○○したら、痩せる!とかのダイエット法が毎年流行しますけれど、
試してみたら、全然痩せなくて、
後で、そのダイエット法の欠陥が判明!
みたいなことがよくありますよね。
(これは、メディアの誤った扇動にも大いに非がありますが・・・!)
そういうわけで、私が考える何かの仮説、
例えば「○○したら、私の会社もっとよくなる!」みたいなものは、
そもそも完璧な理論であるはずがない、ということ。
つまり、
「私の考えなんて、絶対欠陥があるはず! 」
という謙虚な気持ちで、周囲の人の意見に耳を傾け、
自分の考えを「弁証法的に」より良いものにしていこう!
という姿勢が大切なんだ!
ということを勉強させて頂きました。
極論、謙虚な気持ち、が人類を進化させるのだとすると、
日本人って、その点で秀でている(と言われている)から、
訓練すれば、それを強みとして、グローバルな場で活かせるのでは?
例えば、国際会議で、何かについて議論する場面で、
いいファシリテーターになるのでは?
なんて、ふと思った次第です。
そういえば私、
途上国の人とのディスカッションの場で、
ファシリテーターの役をするのは、
結構好きだったかも・・・
もしかしてもっと伸ばせば活きるスキルなのかな。
2018年9月22日 読了